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それぞれの戦後70年ー 五・一五事件 と 山本孝治検察官 ①

昭和7年5月15日に起きた、5.15事件はその後の2.26事件へとつながり、戦前における政党政治の終わりを迎えると共に、戦争への道のりの中で歴史的な大事件であった。
5.15事件の首謀者は海軍士官6名と陸軍士官学校生徒11名及び民間人10名であった。
この事件に関わった海軍側の裁判=海軍軍事法廷(海軍東京軍法会議)の検察官に任命されたのが山本孝治法務官でした。
この山本孝治検察官は私の母の伯父にあたり、三島郡中沢の旧家、山本家の出身です。
高齢の母からは今でも時々、山本孝治伯父の話が伝わってきて長年その人となりにふれてきました。
母が直接触れ合ってきた、幼少期から女学校時代までの想い出話には興味深いものがあります。
近年の5.15事件の論文を引用しつつ、残された資料や話をひも解いて、その一端をご紹介したいと思います。

下、写真、自宅前の山本孝治検察官



下、「越佐と名士」 昭和11年4月25日刊、坂井新三郎著より



下、古い新潟日報記事より、河内 幸一郎(日本農民文学会会員・長岡)




「今年の豪雪も東北、北陸地方に、多大な被害を与えて去り、遅い春はやってきた。
長岡の悠久山の桜も、ウソにやられて見るべくもなかったが、薫風さやめく5月となった。
あの軍事クーデターの5.15事件を思いだす。今新聞、テレビは、アフリカ、中近東の開発途上国の軍事クーデターを伝える。小中学校の教科書には5.15、2.26事件をどのように記してあるのかと、ふと思う。
はしなくも、5.15事件公判の検察官の山本孝治(故人)は、三島越路町中沢の山本家の出であることを最近知った。
山本家は越路町で有数の旧地主で、当主の山本義男氏、今は越路町役場の教育長である。
義男氏の父山本信一郎氏の弟が検察官山本孝治であることと、私の友人で主治医の長岡市表町の青柳医師は九州大学の卒業生で、山本家とは遠い親戚である。
青柳医師は昭和9年頃、九州大学付属病院の医局にあって、敗血症の山本孝治の治療にあたった一人である。当時、佐世保鎮守府内で軍艦青島と駆逐艦の衝突事故がおき、本省法務局の山本検察官は九州に出張し、歯痛のため、抜歯して敗血症となり、行年50歳で急逝した。
私と旧制中学同級生で、私の主治医である青柳医師は「今のようによい抗生物質があったら」と私に述懐するのである。
山本孝治は地元の中沢小学校に入学、中途、長岡市の坂之上小学校に転学、長岡中学に進学、京都の三高に入り、さらに東大を卒業。当時の高等文官試験にパスして海軍検察官になった。
山本五十六元帥は山本孝治の一年上の同窓で、坂之上校、長岡中学の同窓である。
当時、旧制一高、三高、海軍兵学校、陸軍士官学校、一ツ橋高商は、入学試験が一番難しく、山本孝治は山本五十六と共に優等生であったに相違ない。山本孝治は長岡中学時代は野球をやった。
任官前、一時期、長岡藩主牧野忠篤により県庁入りとなった。
しかし、友人勧めで海軍法務官となり、以後、舞鶴、呉、朝鮮鎮海要港部、横須賀鎮守府を経て、5.15事件の時海軍省法務局にあった。当時、自宅は東京・杉並区阿佐ヶ谷にあった。山本家の墓は三島越路町飯塚の明鏡寺にある。事件当夜、海軍省の警護(巡査)に「大事件が起きました。犬養首相が暗殺さた」と伝えられ、登庁し、やがて、血の海の首相官邸の実地検証にあたった。
犬養首相は即死せず、重症で夜中に死去した。当時、日本は満州事変、井上日召を中心とする血盟団事件、血盟団の一人一殺主義で、井上准之助、三井財団の団琢磨らが暗殺された。
外では満州国が独立し、上海で排日派により日蓮宗僧侶が襲撃され、さらに重光公使、白川大将、植田中将らの要人が襲撃され、死亡または重症を負うありさまで、内外共に騒然とした時代であった。
血盟団事件と5.15事件、2.26事件は、一連のつづきである。
水戸郊外に愛郷塾を経営していた橘孝三郎は、茨城県土浦町に講演し、特に農村の窮乏を説き、国家改新の要あることを説き、土浦の海軍航空隊付の青年仕官、古賀清志、中村義男両中尉は肝胆相照らす仲となった。当時、右翼社会運動に奔走していた頭山秀三愛塾頭本間健一郎とも謀議を重ね、血盟団の一人一殺主義では国家革新に効なしとし、5月15日に決行することになった。
革新運動ー昭和維新建設に、クーデターによるほかなしの持論者土浦航空隊藤井斉海軍大尉は、上海に出征し、戦死。維新運動は古賀清志、中村義男中尉らに引き継がれた。
後年、日米大戦戦犯となった大川周明は、古賀清志に共鳴し、武器、資金を提供した。
5月15日、政府要人を襲い、発電所も襲撃して、帝都東京の治安をみだし、国民を恐怖状態におとし、戒厳令を布告される状況を作ることに一致した。彼らはクーデター後、日本の政府即政治に具体策は持たなかった。
後年、民政党の斉藤隆夫代議士に「純真なれども単純」の質問演説をされた。
中村中尉は後年、2.26事件の中心人物近衛連隊の安藤輝三を訪ねたが、「時期尚早」と拒否された。」




「当時は政友会と民政党の二大政党時代で、大正7年に政友会の党人、原敬が初めて首相となった。
非軍人で首相となった者に、大正以来、高橋是清、広田弘毅、犬養毅らだけで、他はことごとく陸海軍人の首相であった。明治維新後、19世紀の世界文明に乗った。日露戦役後、世界の一等国の末尾についた。
しかし、日清、日露、第一次大戦に戦勝したことは、軍部の自負心を強め、エスカレートして東条内閣まで続いたのである。5.15事件は海軍、陸軍、民間と分離裁判になり、海軍側は横須賀鎮守府で行った。
昭和7年7月の第一回公判から十数回にわたり、最後は9月12日に行われた。
立役者・山本検察官は、下着はことごとく白衣をつけ、明治神宮に参拝して出廷した。
公判審理中に全国からはがき、手紙が殺到し、脅迫状めいたものもあった。
阿佐ヶ谷の私邸は四六時中、憲兵がパトロールしていた。やがて、数万語の論告が行われた。
検察官は、およそ事のなるはよってきたるところがある。
古賀清志らの陳述によれば、東京に戒厳令がしかれ、当然収拾する為に相当大きな力を期待し、旗揚げしたという。
また被告の上司たるものは、事の是非曲直を察知し、被告らを迷わせぬようにせねばならない。
事件の重大性と直接行動の不可を説き、立憲君主制の今日、現役軍人が暴力をもって国政を批判、関与するは文明国ではない、と法理論を展開した。
被告らは政党、財閥、特権階級が結託し、私利私欲に走り、国防を軽視し、腐敗堕落したと憂情を訴え、われわれがやらねばだれがやるかというが、法治国家の今日、許さるべきでないと論告求刑した。
死刑は古賀清志、三上卓、両中尉、黒岩勇少尉。高田市出身の山岸宏中尉、中村義男中尉は無期、他は3年または6年の実刑を求刑された。
海軍側にのみ死刑の報が伝わると、横須賀の青年将校らは不公正であると、一時騒然としたが、「主観的には同情するが、非合法的手段に訴えるのは相当認識不足で、現在の経済機構を破壊して一足飛びに理想の彼岸に到達せんとする無謀のはなはだしきもの」と反論した。
朝田大尉の若槻民政党総裁訪問もあり、最後の高須大佐を裁判長とする判決では、死刑は無期となり、無期の者は最高15年となった。
山本検察官は「軍人の下克上」の青年仕官に、一矢を報いたものである。
山本孝治が朝鮮鎮海要港部の検察官時代、司令部長官の清川純一中将は結審後、慰問激励して、例の「雨は降る、降る血の白州」と自作を披露した逸話がある。
戦記小説「此の一戦」で有名な水野広徳少将は「公正妥当なる求刑であった」と手紙をくれ、朝日新聞社長の下村海南も、周囲の種々の圧迫、脅迫に屈せず、貫き通した点を賞賛する手紙を寄せた。
「大菩薩峠」の中山海山は、海軍側の求刑は妥当を欠くもの、と一種の抗議文の手紙。
その他、数百にわたるはがき、手紙が殺到して、いかに5.15事件が全国民に注目されているかを証明した。
山本検察官は明鏡止水の心境にあるとして、周囲の圧力に屈するところがなかった。
公判が結審すると、脅迫状を避ける意もあって妻子と共に郷里の実家に帰省していた。」

日本農民文学会会員 河内幸一郎 (長岡市)

下、時事新報 昭和8年9月11日、号外「5.15事件海軍側被告に対する論告」






追記、訂正:
上記、日報,河内氏の記事の中で「青柳医師が山本孝治の治療にあたった一人・・」との記述がありますが、
当時、青柳医師は九州帝大医学部付属病院内科に勤務しており、親戚として見舞いに行ったことが、治療に携わったと誤解され伝わったようです。山本孝治は佐世保海軍病院に入院中で、組織系統の違う青柳医師が治療に当たるということは無く誤記であったことがわかりました。お詫びして訂正いたします。






















by n-taroh | 2015-08-20 18:49 | Comments(2)
Commented by SHUNJI AOYAGI at 2020-10-19 15:07 x
初めてメールします。
文中で山本検察官を治療した”青柳医師”は私の父です。
当時 ”友鶴事件” の調査で佐世保に出張中に抜歯の術後処置の不備から入院した、とあります。
当時父は九州帝大医学部付属病院の内科に勤務しており、山本検察官の夫人が父の従姉にあたりますので、見舞いに伺ったと父が申しておりました。
山本検察官は佐世保海軍病院に入院中で、組織系統の違う九大の医師が ”治療する” ことは無かったと思います。
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Commented by n-taroh at 2020-10-22 12:18
> SHUNJI AOYAGIさん
貴重なお話をありがとうございます、過去の文献と伝え聞いた話でまとめたようなあんばいです。誤解があったようで失礼いたしました。訂正いたします。

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